2002年4月24日(水)訪問:世田谷学園は東京では数少ない仏教(曹洞宗)系の学校である。世田谷の住宅地にある校地は広くはないが、機能的な校舎が建設され学習環境は整っている。校内には坐禅堂もあり禅の教えを反映させた指導を進める一方で、積極的な国際交流の実践に努め大きな成果も挙げている。また、近年では進学校として知られるようになり、難関国立・私立大学への進学実績は順調な伸びを見せる学校として注目を集めている。学校長桜井乘文先生、副教頭横倉孝行先生、広報部長亀山仁道先生にインタビューした。
ほくしん教務統括 中山秋子

「前校長が亡くなったことで高まった教員の意識」

(中山)
前回のインタビューの際には、故山本前校長にお話を伺いました。その後、1年半ほどで急逝されとても大きな衝撃を受けました。桜井先生が校長職を引き受けられたのも突然のことで、いろいろとご苦労がおありだったのではないでしょうか。
(桜井先生)
その通りです。発病から亡くなるまでがとても短期間でした。医師からは「まず3ヶ月だけ様子を見て、その後の治療法はその間に考えましょう」ということだったそうです。私たちも病気の様子から「すぐに回復されるだろう」と思っておりました。
(中山)
急逝されるとは誰も予期はされていなかったのですね。
(桜井先生)
校長室が病院に移ったという考えで常に連絡は取り合っていました。その間、学校では事故もなく普段と大きな変化はなかったものです。ただ、万が一ということは考え、本人は引継ぎの準備は進めていたと思います。
(中山)
桜井先生は当時、どのようなお仕事に携わっていらっしゃったのですか。
(桜井先生)
法人の財務担当の事務局長です。現場の指導は校長、教頭、教務主任などが進めるわけですから、そこからは離れていました。ただ、山本校長、小野教頭と3人で新しい学校づくりを進めてきたので、基本の方針や将来への方向性はお互い確認していました。
(中山)
それでは、引継ぎは順調だったのでしょうか。
(桜井先生)
いやいや、そうはいきません。今思い出そうとしてもその最中何をしていたのかわからないほどです(笑)。山本は私にとっても恩師にあたる存在です。方針や方向性での理解はしておりました。でも、山本は教育者として、あるいは私学のリーダーとして稀有な存在でしたから…。大きな痛手でした。
(中山)
同感です…。
(桜井先生)
学校のあり方、生徒と先生の結びつき、外部の方からの信頼など、世田谷学園には山本個人の人間性から生み出されたものが大きかったのです。私たちは言わば「山本学校」というものを受け継ぐことになりました。周囲から「これから世田谷学園はどうなるのか」という大きな不安を持って見られていたのは事実です。
(中山)
お察しいたします。
(桜井先生)
校長職を頼むと言われれば仕方がないのですが、それまでの役割分担も兼ねながら進めることになりました。人はそれぞれ違うので、山本の真似をしても絶対に山本にはなれないわけです。残されたみんなで世田谷学園が進めてきた教育を継続していこうと考えました。
(中山)
先生方の協力がなくては進みませんね。
(桜井先生)
はい。幸い、教員がみんな山本の教育に対する考え方、世田谷学園の建学の理念などをよく理解して携わってくれていました。それで、どうにか進んできています。 山本の逝去はまことに残念なことでした。が、それを転じてより鮮明に建学の精神に基づく教育の展開ができるようになったのではないかと思います。
(中山)
どのような点が変わったのでしょうか。
(桜井先生)
それまで、教員の中には「山本先生に任せておけば…」という気持ちがあったと思います。 でも山本がいなくなって、一人一人が「自分にとって世田谷学園とは何なのだろうか」「自分にとって世田谷学園の教育は何なのだろうか」と考えなくてはならなくなったのです。 山本の目指したものを「自分が受け継いで発展させていかなくてはならない」という意識が芽生えたと思います。
(中山)
それは素晴らしいことです。先生も心強く思われたことでしょう。
(桜井先生)
ええ。山本は20年近くをかけて21世紀の世田谷学園の姿を組み立ててきました。
進学指導だけでなく、いろいろな点で毎年ステップを踏んで取り組んできたので、その延長線上にあるものははっきり見えていました。目標が見えるためにみんなの考えがまとまりやすいのです。
(中山)
山本先生が亡くなったことを生徒たちはどのように受け止めたのでしょうか。
(桜井先生)
人間の命、あるいは生き方について考える機会を持てたと思います。 自分の身内を亡くす経験はあまり多くはありません。身近で、親しく、そして激しく教育の現場を指揮していた人間だったので、生徒にとっても存在感が大きく、精神的な影響は大きかったと思います。
(中山)
生徒や保護者に対する山本先生の数々のお話も印象的だったと思います。
(桜井先生)
そうですね。毎回の話を期待している保護者も多かったように思います。 病院を訪ねて、どんな話を自分はしたら良いかについて聞いた時には、「世田谷学園のこの10年の変化を語れ」というアドバイスでした。もちろん細かい内容も話してくれましたが、この言葉自体が端的に表していると思い出されますね。

「教員が校長室に気楽に入れるようになった」

(中山)
校長に就任されて手がけられたことは何でしょうか。
(桜井先生)
これまでの世田谷学園の教育理念、山本が目指してきた21世紀の教育の理想について、隅々まで展開されているかどうかの検証でした。また、それらがこれからの時代にふさわしいものなのかどうかという検証も必要でした。
(中山)
現場の先生方に協力を求められたのですね。
(桜井先生)
そうです。70分5コマ授業、2期制4ブロックの組み立てなどは、教育の革命とも言って良いかも知れない取り組みです。その他にもいろいろなことが進められていました。それらが目標通りに進んでいるかを調べることは重要なことです。現場の教員にうまく進んでいるか、今後はどのようにしたらより良くなるかの意見を求めました。
(中山)
どのようなお考えのもとから進められたのですか。
(桜井先生)
遺された資料などを何度も読み直しました。そして、教員の潜在的な力、それぞれの能力をもっと引き出すことが山本の目指した教育の実践には一番大切なことだろうと考えました。
(中山)
資料は膨大なものだった思いますが、いかがでしょうか。
(桜井先生)
とても几帳面でしたから、非常に丁寧に細かく記録してありました。しかし、実際にことを進めていく上ではわからないことが多かった(笑)ですね。
(中山)
その内容についてお話ください。
(桜井先生)
たとえば国際交流についてです。他の学校に先駆けて取り組んでいた部分ですが、具体的な窓口となる人間関係など、わからないことだらけでした(笑)。 自分で足繁く出かけて初めてわかるようなこともたくさんありました。 個々のつながりで補って来た部分が大きかったので、国際理解教育を推進する国際部を設けて専門的に対応することにしました。
(中山)
国際交流の分野では山本前校長の存在は特に大きかったように感じていましたが、やはりそうだったのですね。
(桜井先生)
以前、校長室は今のように気軽に入る場所ではありませんでした(笑)。 意見を述べたり相談したりするような場所ではなかったようです。 たまに呼ばれた時は重要なことを頼まれるか、誰かを紹介されるか、時には叱られに行くとか(笑)、そんな場所だったようです。
(中山)
そうだったのですか。
(桜井先生)
山本は公職を数多く引き受けていたために、やりたいと思ってもできなったようです。
現在は誰でも入ってきて意見を述べることができますよ(笑)。
(中山)
先生方の意見をもとに行われるようになったことはありますか。
(桜井先生)
各教科で担当者が意見を述べ合うことができるように組織を組み立て直してほしいという意見がありました。従来も制度上はできていたのですが、必ずしも機能的ではなかったので、私もその必要性は感じていました。すぐに取り組みました。
(中山)
現場の先生方はこのような変化をどのように受け止められたのでしょうか。
(横倉先生)
前校長はとても強いリーダーシップを持っていましたので、半分は「馬車に乗っていれば良い」という気持ちがあったのは事実です。冷静に考えると、それは生徒にとって大きなマイナスだった思います。校長が代わったことで「この部屋に来るのがいやだな」(笑)という状況ではなくなったと思います。
(中山)
先生方が試行錯誤をして進めて行かなくてはならない状況ですね。
(横倉先生)
そうです。70分5コマ授業など、本当に始めたばかりだったので、どうしたら良いかという確かな指針もありませんでした。最終的に意見を集約するのは校長ですから、校長の考えを確認した上で取り組みを進めることが必要だという認識は強くなったと思います。
(中山)
生徒も桜井先生のお考えがよくわからない点では同様だったと思います。生徒と接するようになってどのように対応されたのですか。
(桜井先生)
校長とは生徒にとってどのような存在なのか考えると、たいていの場合、声がかけにくい、話がしにくい存在と言えるでしょう。話す機会は朝礼や学校行事に限られてしまいます。 ですから、校内を歩いて出会った生徒に話を聞いたり、生徒会室に出かけてお茶を飲んでみたり、あまり警戒されないように(笑)生徒と接する機会を設けるようにしています。
(中山)
授業はお持ちではないのですね。
(桜井先生)
授業を持つことは必要だと思うのですが、法人の仕事も兼ねているので、時間的に限られてしまいます。「外で仕事があるからちょっと自習をしておいてくれ」とは言えませんから。授業を持てないのはとても残念です。

「生徒からも直に情報を得る」

(中山)
生徒との話の内容をお聞かせくださいますか。
(桜井先生)
最近の生徒は気楽に何でも言いますね。「今日の朝礼の話はどうだった?」と尋ねるとお世辞を言う生徒もいますが、「訳がわからなかった」とか「僕たちと同じところまで下りて来て話題を選ばなきゃ」などと、実に手厳しい(笑)評価をしてくれますね。
(中山)
まあ、それはすごいことですね。
(桜井先生)
自動販売機の前で順番を待っていると、「先生、先に買っていいですよ」と先を譲ってくれ、その後で「先生、握手してください」と言うので、「なぜ、握手なんてしたいんだい」と尋ねると、「パンフレットで見ただけの先生だから、直に触れてみたいんです」(笑)だそうです。
(中山)
生徒たちにとって「校長先生」は身近な存在ではないので、「いったい何をしているか知りたい」ようだというお話はいろいろな学校で伺いました。
(桜井先生)
そうなのですね。校長室=謎なのでしょう(笑)。 生徒からも直接情報を得ることは大切なので、その生徒にも「70分5コマの授業になってどうだい?」と聞きました。「最初はちょっときついかなと思ったけど、先生もいろいろ工夫した授業をしてくれるし、自分も慣れてきたからこれで良いと思っています」と返ってきました。
(中山)
そのような意見はいろいろな場に反映されるのですか。
(桜井先生)
そのときは「君たちが良いと思うのならばこのままで続けていこう」と回答しましたが、評判が悪いようならば何か対策を講じなくてはなりません。そのような姿勢は必要です。
(中山)
この校長室から外の生徒の様子がよくわかりますね。
(桜井先生)
そうですね。生徒の姿や話の内容もわかります。逆に生徒からもすべて見えますね。まるで動物園の動物のようです(笑)。ちょっとつらい部分もありますが、これは良いことですね。
(中山)
そうですね。生徒のことで最近何か印象に残ったことはありませんか。
(桜井先生)
野球部の生徒が泥んこになるまで活動した後、家に帰ってから店の仕事を手伝っているという話を耳にしました。 すぐにも、表彰状をあげたいほどだったのですが、そのようなことをして逆効果になるといけないので、ここに呼んで「みんなが君のことをとてもほめていたよ」と伝えたのです。実にうれしそうでしたね。
(中山)
なかなかできないことですものね。最近の中・高生には、挨拶さえもできない生徒が増えているように思います。
(桜井先生)
そう思います。格好が悪いとか面倒くさいとか考えるのでしょう。挨拶をすれば気持ちが良くなるといつも教えています。叱ってさせるのはたやすいかも知れませんが、教員の方からどんどん挨拶をしていくのが、この学校の伝統です。次第にできるようになる生徒が多いですね。
(中山)
最近の生徒はなかなか幼さが抜けないように思いますが、いかがでしょうか。
(桜井先生)
うちの生徒は優しい生徒が多いですね。 ただ、最近は幼さに加えて感情を表に出さない、冷めた生徒が増えているようにも感じます。もっとワイルドな生徒にもいてほしいと思います。
(中山)
教室でもお感じになりますか。
(横倉先生)
幼児性が抜けないということは特に強く感じますね。同情しているのですが、現在でも男子に対する期待が大きく、周囲からのプレッシャーも大きいと思います。決まったスケジュールで過ごすことで、自分でいろいろなものを切り取って構築して行く機会を減らしているのではないかと思いますね。
(中山)
そうしたことについては、母親の影響が大きいと言われますが。
(桜井先生)
そうですね。現代社会は、家庭の中で母親の立場は昔とは違った意味で強いと思います。子育てにも母親の考え方が強く反映されるのでしょう。また、最近は兄弟姉妹が少ないことで、ある意味では至れり尽くせりという対応になりがちなのかもしれません。
(中山)
それらの事の延長上に「不登校」があると聞く場合も増えてきているように思います。こちらではそのご心配はありませんか。
(桜井先生)
いくつかの例はあります。それぞれケースは違います。うちのカウンセリングルームはかなり歴史を持っているものなのです。クラス担任、生徒とその保護者、カウンセラーとで急がず対応していきます。
(亀山先生)
途中から話に加わりますが、お祖父さんの「有名大学を目指せ」という進路に対する考え方が原因で不登校になった生徒もいました。家族や教員、担任だけでなく学年の教員も加わって、いろいろと取り組みました。幸いなことに回復して社会人として一人前になりましたが、やはり家庭からのプレッシャーは大きいだろうと思うことはあります。
(中山)
そのようなこともあるのですね。一言では答えにくいことでしょうが、どのようにすれば良いとお考えですか。
(桜井先生)
以前は地域が家庭を補うことができたのですが、今の東京では不可能でしょうね。学校の役割も大きいと思います。みんなで過ごす時間を学校が提供できれば良いだろうと思います。クラブ活動や海外でのホームステイなどもその一環として考えています。
(中山)
集団で過ごすことは表現する力を伸ばす上でも効果がありますね。
(桜井先生)
言葉や行動で相手に自分の気持ちを伝えなくてはなりませんから良いことでしょう。さらに他人に対する思いやりの心を持つ上でも良いでしょう。 クラブ活動などは、体格や身体的な能力も明らかに異なるわけで、上級生は絶えず下級生へ配慮しなくてはなりませんから、大切な場だと思います。

「入試については変更も検討中」

(中山)
言語で表現するという点で、最近の生徒の力は落ちているように感じます。
(横倉先生)
私は国語科の担当ですから、実際の授業の中でそれは強く感じます。体験の不足が原因でしょう。校長が言った通り、地域社会がずたずたになり文化の伝承ができにくいし、世代や職業の違いから生まれる考え方の違いなども知ることができなくなっています。以前はそのようなことがごちゃ混ぜになった地域社会でいろいろな言語が獲得されていたように思います。
(中山)
そういう現状で、国語科としての取り組みはどのようにされていますか。
(横倉先生)
低学年のうちにたくさんの文章に触れる機会を持たせようとしています。もちろん教科書はありますが、それ以外にさまざまなジャンルの読書指導を行います。言語を増やすためのトレーニングも行いますが、実際に遣うことが必要なので、授業内やホームルームなどで自分の意見を述べる、他人の意見を聞くという機会もいろいろ設けています。
(中山)
殊に聞くことは大切だと思います。
(横倉先生)
そうです。「この言葉の意味は何だろう」と感じて、意味を考えて調べ覚えそして遣えるようになっていくことが特に大切ですね。
(中山)
率直に申し上げますと、「世田谷学園は国語が弱くても入れる」と考えて、各塾が受験指導をしているようです。その点でも国語の指導ではご苦労されていると思いますが、いかかでしょうか。
(横倉先生)
校内でも「もう少し国語の力を伸ばしてほしい」という要望(笑)が強く出ます。なんとか数学に追いつこうと工夫しています。今年(2002年)のように進学実績が伸びた年は、国語が好きだという生徒が多いのは事実です。
(中山)
大学入試の問題を見ても、国語力が高いと取り組みやすいと思います。入学時から算数と国語の差がある生徒が多いと、特に文科系難関学部への進学指導は難しいと思います。
(桜井先生)
その点についてこちらからも伺いたいと思いますが、数学が強く、国語が弱い生徒が多いのは入試の配点も関係しているのでしょうか。
(中山)
そう思います。入試問題の内容も影響していると思います。失礼だと思いましたが、「東大に多数合格させるには、もっと国語の強い生徒が入学してくる必要がある」と山本先生にも申し上げたことがあります。
(桜井先生)
ちょうど数学担当の亀山も加わったところなので、入試問題について話を進めてください。
(中山)
遠慮なく申しあげれば、国語については記述を重視してほしいと思います。受験生のレベルを考えると、もっと記述を増やしても良いのではと考えます。
(横倉先生)
その点で言うと、特別選抜の出題に国語科の目指す方向を示しています。
(中山)
それはよくわかります。今後、1次と2次の出題にどのように反映させていかれるのか期待をしています。
(亀山先生)
算数はいかがでしょうか。問題ついてはいろいろな意見があると思います。
(中山)
算数は単純な計算がない点、途中経過も答える設問がある点など、基本的には良いと思います。ただ、内容や難度の点で毎年変化が大きいように感じます。受験生の立場から言うと、準備していない問題が出されたと感じることがあるでしょう。
(亀山先生)
出題内容のさじ加減が難しいですね。設問数が限られていますので、少し難しくしただけでも平均点が大きく下がってしまいます。基本の方針は「しっかり勉強してきた生徒に不利にならないようにする」ということですので、極端に思考力を重視した問題にはならないように配慮はしています。
(中山)
特別選抜についても同様なのでしょうか。
(亀山先生)
受験生の学力が異なりますから、多少の違いはあります。1次と2次の間でも難度の差は設けています。
(桜井先生)
入試については現在検討中の内容が多いのが事実です。いろいろな方面からの意見も伺い、変更の内容のおよそのところは決まっています。ただ、最終決定ではないので説明会でお伝えすることになります。
(中山)
わかりました。発表をお待ちしています。最後に受験生や保護者にメッセージをお願いします。
(桜井先生)
夢を持って入学してほしいと思います。自分の夢を叶えたいと思っている生徒にはいろいろな点で協力していきたいと思います。 夢は何でも良いのです。単純に医者になりたいでも良いし、どこかの国に行ってボランティア活動をしたいでも良いし、具体的なものでも漠然としたものでも構いません。何かを持っている生徒に受けてほしいと思います。

以上

学校風景1学校風景2学校風景3

☆付記☆偉大な前校長山本慧彊先生の急逝を大きな節目に、世田谷学園は新たな注目を集めた。さぞかし大きなご苦労を経たに違いない後継者、桜井校長は気さくに自分の思いを語った。胸の内にはスタッフ一丸となっての新たな展開が計画されているのだろう。伝統の上に築き上げられた世田谷学園の教育が、大きく伸びることを期待したい。スタッフも率直にプラス思考をして取り組んでいる。理想の学園にさらに近づいていく気配が感じられた。
世田谷URL