2003年11月12日(水)訪問: 市川中学・高校はJR総武線本八幡駅からバスで10分ほどの台地にある。周辺は宅地と農地が混在する地区で、その中にある近代的な大きな校舎は特に目を引く。長年、英国のパブリックスクールを目標として紳士の育成に努め、千葉県内ではトップクラスの私学として歩んできた。2003年春から校舎移転とともに男女共学の新生市川中学校としてスタートし、初年度は例年にも増して多くの受験生を集め、地元千葉・城東地区のみならず首都圏全域から注目された。今後の取り組みが注目されている。学園長(理事長)古賀正一先生、広報部部長及川秀二先生、広報部白金顕氏にインタビューした。
ほくしん教務統括 中山秋子

「卓越した教育を目指す姿勢は変わらない」

(中山)
素晴らしい新校舎を拝見しました。校舎移転とあわせて男女共学校として新たにスタートをきられて各方面から大きな注目を集めています。本日は新生市川の基本となるお考えや経緯をお話しください。
(古賀先生)
本校は昭和12年に先代の理事長、私の父ですが、古賀米吉が創立して以来、卒業生が2万7千名を数えるまでになりました。ご存じのように長く男子校として、地域社会からその実績を認められてきました。が、これからは男女が共にそれぞれの能力を発揮し協力し合う社会です。
(中山)
なるほどそうですね。
(古賀先生)
何か特別なコンセプトを持たれる学校は別でしょうが、男女が小さい頃から協力し合う、あるいは切磋琢磨し合うことが大切であると考えています。むしろ共学でない学校が珍しくなるでしょう。
(中山)
お考えを実行に移すのにはどのくらいの準備期間が必要でしたか。
(古賀先生)
6年ほどかかりました。男子校として長い伝統がありますから。
(中山)
新しい校舎の建設に合わせて具体的な計画が進んだのでしょうか。
(古賀先生)
そうです。古い施設はほぼ40年も使ってきて老朽化が進んでいました。時代に合った新しい校舎が必要だと考えていました。聖書に「新しい酒を新しい革袋に盛れ」という言葉がありますが、せっかく新校舎を建設してそこに移るのならば新しい教育を始めようと考えました。これからの時代に合った学校というビジョンを持って、「新生」市川学園を創っていこうと思った訳です。
(中山)
共学校になさる際、どの学校でもいろいろとご苦労があったというお話を伺っています。市川学園ではいかがだっだのでしょうか。
(古賀先生)
いろいろと研究しました。もちろん他の学校の状況も調べて十分な準備を進めてきたつもりです。結果として、中高同時に共学化を進めるのではなく、中学1年から順に6か年をかけて完成していくことにしました。ある面では「なだらかな共学化」ということになると思います。
(中山)
おっしゃるように、この時期に共学化を進めるというのは世の中の流れだと思います。多くの学校も同様にお考えになっているようですね。この近くでは女子校の昭和学院も共学校になりました。
(古賀先生)
そうです。本校が共学になり県内では男子のみの中学はなくなり、女子校も目だって減ってきました。本校の場合は66年間卓越した教育を目指してきました。これからも同様に卓越した、外部の方からも評価される教育を進めたいと考えています。その考えで生徒の学習の場である施設にも気を遣って取り組みました。
(中山)
具体的にはどのようなことでしょうか。
(古賀先生)
まず、より良い教育環境、もともとあった野球場に土地を買い増しして新校舎を建てました。この辺りは市の公園としても整備されていきますので、広々とした土地に建つ広々とした校舎になります。冷暖房は当然として、ITを中心とする先端設備を整えること、そしてこの学校のコンセプトになっている第三教育を充実させることができる設備を整えることです。
(中山)
第三教育の充実ができる設備とはどのようなものでしょう。
(古賀先生)
「第三教育」というのは、家庭での教育を「第一教育」、学校での教師から指導されたり友達同士で切磋琢磨し合ったりする教育を「第二教育」と位置づけるのに対して、自分自身を鍛えていく教育です、そのために、一般的な図書館をさらに充実させて「第三教育センター」として整備しました。いろいろなメディアを入れたり、開館を午前7時にして生徒が自習室を朝早くから使えるようにしたりしました。
(中山)
なるほど、自覚して学習をする生徒にとっては、ハード面での充実は嬉しいことでしょう。朝7時から使えるようにするというのはもろもろの事情を思いますと、なかなか大変なことです。この学校訪問でも初めて伺うお話です。
(古賀先生)
そうですか。あわせて体育施設の充実も進めました。旧校舎のところにできる総合運動場をはじめとして、各種の運動施設も整備しました。すべて新しい市川学園の教育には絶対必要なものだと考えています。
(中山)
勉強だけでなく、いろいろな面で充実した学校生活を送ることができますね。
(古賀先生)
そうです。ただし従来からの教育で変えてはいけないものも数多くあります。「流行不易」という言葉で表現していますが、新しくて良いものは積極的に採り入れるが、守るべきもの、受け継がれてきた市川学園の教育の根幹は変えないで進んでいきます。
(中山)
市川学園の教育の根幹とは何でしょうか。
(古賀先生)
3つの柱があります。「独自無双の人間観」と「よく見れば精神」と呼んでいるものです。人間は似ていても皆異なるものだから、一人一人をよく見て個性を伸ばしていこうとする姿勢です。そして先ほど述べた「第三教育」ですね。

「中1の女子は積極的な活動が目立つ」

(中山)
そのような準備をして、女子生徒をお迎えになっていかがでしたでしょうか。いろいろと驚かれたことも多かったように思いますが。
(古賀先生)
全く新たに始めるということで、4月1日に入学式をしまして、2日から4日間オリエンテーション合宿として鴨川に出かけました。その際に入学式に「独自無双の人間観」ということをわかりやすくするために、SMAPの「世界にひとつだけの花」の歌を取り上げたところ、それが愛唱歌になりましていろいろな機会に歌われるようになりました。うれしかったですね。
(中山)
それは効果的なお話だったようですね。
(古賀先生)
この時期は男子に比べて女子の方が精神的な発達が早いことや、募集が男子240名に対して女子は80名と少ないので合格基準がやや高いこともあって、積極的な生徒が多いように感じました。
(中山)
どのような機会にそのようにお感じになりましたか。
(古賀先生)
鴨川の合宿から戻ってきた後で新校舎の落成式があったのですが、その際に宇宙飛行士の毛利さんをお招きしてお話を伺いました。質問を受けながら話されるのですが、正直なところ質問などが出ないのじゃないか(笑)と思っていました。ところが中1の女子は特に活発に質問していましたね。
(中山)
そのようなお話は他の学校でもよく伺います。
(古賀先生)
クラスによくとけ込んでいるという印象はありますね。しかし、そうは言っても女子は肉体的には弱いですから、バスが混んでいたりすると男子の上級生は先に乗せてやったりする(笑)、そういうマナーが自然と身に付いていくようです。これは良い影響でしょう。
(中山)
なるほど。
(古賀先生)
その他では中1の女子で小さい頃から剣道をやってきた生徒がいたのですが、校内の剣道の試合で中1から中3のどの男子をも打ち破って、ようやく高1の男子が負かした(笑)ということもありました。
(中山)
それはすごいことですね。
(古賀先生)
そうでしょう。いろいろおもしろい女子がいますね。彼女たちは一期生ということに責任と誇りも感じてくれているようです。
(中山)
先生方もいろいろと変化を感じていらっしゃるでしょう。
(古賀先生)
そうですね。学年でチームを作って取り組んでいます。話し方ひとつとっても、男子校の時は多少荒っぽい話し方でも大丈夫だった(笑)のが、そうはいかないと研究しているようです。教師にとっても新しい学校を創る門出ということが意識されているようです。
(中山)
現場の教職員の方はいかがですか。
(白金氏)
現場の教師は準備は進めていても、やはり戸惑いはあったと思います。しかし、実際にはこちらの予想以上に早く学校に溶け込んでくれました。そして、とても活発なので喜んでいると思います。クラブ活動にも79名の女子生徒のほぼ全員が何らかのクラブに入って活動しています。
(中山)
女子の生徒はどのようなクラブに入っていますか。
(白金氏)
ブラスバンドとテニスに人気があって過半数を占めています。作法室を作って華道部や茶道部が活動できるようにと思ったのですが、実際には誰も入ってこなかったので活動していません(笑)。これは思った通りにはいきませんでした。
(古賀先生)
女子だけではなく、これからは授業などでも茶道を採り入れ男子にもやらせるのも良いでしょう。これからは男子でもいろいろなことができなくてはいけませんよ。
(中山)
本当にそう思います。女子のことばかりをお尋ねしてしつこいようですが(笑)中1女子は文化祭でも花形だったでしょう。
(白金氏)
合唱や演劇では目立っていました。高校生と一緒にやる演劇では主役をつとめていました。少ない人数なんですが、本当に華やかになりました。
(古賀先生)
共学校になって文化祭への関心も高まり、今年は13000名もの方がお見えになりましたね。これは昨年の2倍の人数でした。
(中山)
生徒の皆さんの活動を通して新しい市川学園の姿を広めることができてとても良かったと思いますね。
(古賀先生)
注目度がとても上がったように感じます。ありがたいことです。

「簡単に真似されるものは大したものではない」

(中山)
古賀先生は企業経営の第一線で活躍されてきたと伺っています。どのような経緯でお父様の跡を継がれて学園長に就任されたのですか。
(古賀先生)
父古賀米吉は小学校の代用教員から出発してこの学園をつくった人間で、いわば筋金入りの教育者でした。私が生まれる前年にこの学校を創りました。創立時にはいろいろと苦労をしています。そのような父のすごさを見て育ちましたから、私は自分の道を行きたいと考えました。
(中山)
市川学園に関係する仕事は全くされなかったわけですね。
(古賀先生)
そうです。大学は理系に進み、卒業後はコンピュータのエンジニアとして東芝に入社しました。当然この学校に関わることはしないだろうな(笑)と思っていました。
(中山)
お父様はどのようなお考えでしたか。
(古賀先生)
専門職を選んだので、その道に進むのは良いことだと、とても賛成してくれました。その後、45年勤めて副社長として会社の経営にも参画しました。現在も会社で顧問をしながらこの学校の学園長・理事長も務めています。
(中山)
どのようなことで学園長をお引き受けになることになったのですか。
(古賀先生)
父が亡くなったことが直接の理由です。父は終身現役で亡くなる前まで床の中からいろいろと指示を出していました。それを観たことと、長く企業に勤める中で「人づくりという点では学校も会社生活も変わりはない」ということを感じてきたことが大きいですね。会社そのものが「第三教育の道場」であると思ったものです。だから自分は「第三教育の達人」になろうと思っています。
(中山)
良いお話ですね。でも会社の方には支障もあったのではないのでしょうか。
(古賀先生)
わりと簡単にOKが出ました。東芝のトップだった土光さん(注:土光敏夫氏、経団連会長、臨時行政調査会会長などを歴任、「企業再建の達人」とも称された)もお母様が立てられた学校の経営に関係されていたので、「土光さんもやってるから君がやっても大丈夫だよ」ということでしたね(笑)。
(中山)
重責を兼務されることになったわけですから、自由に学園の教育現場にいらっしゃることもできなかったわけですね。
(古賀先生)
そうです。教育面だけでなく学園経営の面でも学校のスタッフに協力してもらうことも多かったと思います。毎日来ることはできませんからね。
(中山)
大企業で経営陣として活躍されていた方の目から見て、学校や学園経営についてはどのようにお感じになられたのでしょうか。
(古賀先生)
私学は教育という無形のサービスを提供する法人で、その点では企業とあまり変わりはありません。近い将来に株式会社の学校も誕生するかもしれない、そのような状況を考えると、一般企業の知見というものは大いに役立つと思いましたね。いくつかの取り組みを始めました。
(中山)
どのようなことですか。
(古賀先生)
企業の会社経営会議にならい教育経営会議を持ち学園全体の運営方針を決めるようにしました。また、「スクールガバナーズ」と称して評議委員会に外部の知見ある方に加わっていただき、学校を外から見ていただいて、その意見を採り入れていくようにしました。
(中山)
一般企業の状況と比べて学校はいかがでしたか。
(古賀先生)
遅れているというか、十分でないというか、いろいろ問題だと感じる面がありました。
(中山)
どのような点でしょうか。
(古賀先生)
現在、企業では経営の基本となる「Voice Of Customer」、「顧客の声」をとても重視していますが、それを大事にしていくという点では十分でなかったと思いますね。
(中山)
顧客というのは生徒、保護者と考えてよろしいですね。
(古賀先生)
そうです。他には地域社会の方々が入ります。もちろん、学校には先ほど言ったとおり変えてはならない部分があり、教育方針や創立者の理念はそうでしょう。が、実際に指導を受けている生徒やその保護者の満足度も考えなければ私学はたちゆかなくなります。
(中山)
いくつかの私学では、教員を一般企業で研修させたり、教職員を一般企業での経験者から採用される例が増えています。一般企業に学ぶ点が多いからでしょう。
(古賀先生)
そうでしょう。私学は外部との交流が少ないので、そうした傾向はとても良いことだと思います。全く偶然ですが、この白金も一般企業で勤めた後、市川学園に勤めるようになりました。その経験を生かして力を発揮してくれています。
(中山)
先生のいろいろな経験を生かして、いろいろな面で私学界に新しい波を起こして下さるよう期待しております。
(古賀先生)
私もそう願っています。私学の校長会などで、どんどん取り組みを公開しています。「オープンにすると他校に真似をされてしまう」という考えもあるようですが、私は「簡単に真似されるものは大したものではない」と思っているので、どんどんお伝えしています。

「基本を重視した問題作りをする」

(中山)
保護者の声を聞く中でどのようなことをお考えになりましたか。
(古賀先生)
今年から始めた地域別の懇談会、こちらから出かけていってお話を伺う場では応援とともに厳しい意見も頂戴します。そのような声を総合すると、教育の質向上を図らなくてはならないと思いました。教育の基本となるのは教師の教授力ですから、その向上には力を入れたいと思っています。
(中山)
いろいろな研修や研究を通じての指導技術の向上ということですね。
(古賀先生)
その通りです。ただ一般企業と違うのは私学とはいえ公的なものであるということです。公的な資金援助も受けています。業績不振だからといって簡単にやめるわけはいかない。そういう責任も考えなくてはなりません。
(中山)
なるほど。
(古賀先生)
教育の持つ意味や役割を考えると、顧客だからと言って保護者や生徒の考えを全て受け入れるようなことはできません。特に生徒の場合には師弟という縦の関係が崩れてしまうと教育とは言えなくなります。
(中山)
本当にそう思います。公立などでは困った状況にある学校も多いようです。
(古賀先生)
そのような点を踏まえて、本当の学力をつけるシステムを充実させていかなくてはなりません。希望する上級学校に入れる進学指導もその中のポイントと考えています。
(中山)
なかなか理解できない部分もあるように思われますが。
(古賀先生)
確かに一般企業ではどこの大学を出たかという学歴よりも何ができるかという学力を重視しています。しかし、偏差値ではなく、現実的な問題として各大学には大きな力の差があります。一般的には良い教育を受けられる、良い友人と切磋琢磨できる環境は難関大学ほど整っています。でも、これからは大学どうしが切磋琢磨する時代で、いままでの大学の評価も変わっていくでしょう。ですから、日本の内外を問わず、大学受験に関しては生徒の希望をかなえる手助けができる進学指導は学校に対する保護者の変わらない希望だと思います。
(中山)
よくわかりました。
(古賀先生)
あとは「知・徳・体」の徳の部分を指導したいと考えています。きちんとした挨拶ができる、その場にふさわしいマナーや基本的なルールを身に付けているなど、これからの社会でも重要さは変わりがないでしょう。挨拶を身に付けさせるために、まず教師から挨拶しようと取り組んでいます。これには保護者の協力もお願いしています。
(中山)
同感です。伝統を踏まえていろいろな取り組みをお始めになっていることがよくわかりました。
(及川先生)
広報部長の及川です。遅くなりました。
(古賀先生)
生徒募集や入試、その他の取り組みについては今来た及川に尋ねてください。
(中山)
わかりました。生徒募集や入試についてお伺いします。初めての入試では女子の学力が男子に比べて高かったように伺っていますが、実際の授業の場ではいかがですか。
(及川先生)
女子はきちんと勉強している印象があります。男子にも刺激になっていると思います。特に最初の頃は成績上位の生徒は女子がかなりの部分を占めていましたが、数学に関して言えば現在ではほぼ同じレベルになったと感じています。男子も良く伸びていると思います。
(中山)
2003年は算数がやや難しかったと思っていますが、これからも同様な傾向なのでしょうか。
(及川先生)
いいえ、基本の方針は幅広い知識をくまなく問うための基本的な出題をしようと思っています。2004年は少し基本的にしようと考えています。他の教科も同様でしょう。
(中山)
試験場の変更についてはいかがですか。
(及川先生)
2003年度入試では多くの受験生と保護者の方に来ていただき、行列ができてしまいました。駅から1時間以上かかかったので大変だったと思います。近所にもご迷惑をおかけしたようです。本当は新校舎で試験をしたいと思ったのですが、第1回に限り幕張メッセで行います。駅から近いので東京方面の受験生にとっても試験場までの時間はあまり変わらないと思われます。
(中山)
途中の道を考えると仕方がないかもしれませんが、せっかくの新校舎で入試ができないのは残念ですね。
(古賀先生)
入学後に新校舎を存分に活用してほしいと思います。学校としても今後もいろいろな取り組みを進めていきます。新生市川学園に一層ご期待ください。

以上

学校風景1学校風景2学校風景3

☆付記☆古賀学園長は長く企業の経営に携わってきた経験を生かし、新しい学校づくりを意欲的に進めている。「企業も学校も人づくりという点では変わりはない」という言葉には重みがある。また、男女共学化や新校舎への移転が新しい息吹を学園にもたらし、私学の新たな可能性を感じさせる。
市川中学URL