「今日の評価は学校再建に取り組んできた結果である」
(中山)
逗子開成は進学校としても独特の教育を行う学校としてもたいへんな注目を集める学校になりました。校長はその原因をどのようにお考えですか。
(髙田先生)
そうですね。簡単に言えば学校の再建を始めてから18年間、教員や学校関係者が一生懸命にやってきたことでしょうね。
(中山)
その内容についてお話ください。
(髙田先生)
本校は長い伝統を持つ私立学校です。私学の雄と言っても良いでしょう。これだけの伝統があれば、当然、紆余曲折、栄枯盛衰があるわけです。色々なことがありました。その中で、現在の私立学校においては進学指導が重要な評価を受けるものですが、それが大きく後れをとっていました。
(中山)
なぜだったのでしょうか。
(髙田先生)
戦前の発展があまりにも凄かったからでしょうね。当時は海軍少将までになった人たちが退役して校長を務めたような学校で、当然、社会的な評価もとても高かったはずです。特に海軍関係では「逗子開成は素晴らしい学校だ」と言われ続けました。
戦後はスポーツ面での活躍はありましたが、進学指導など新たに求められるような教育には対応ができていなかったのです。
(中山)
再建に取り組んで18年ということですが。
(髙田先生)
昭和55年の八方尾根での遭難がきっかけです。
この遭難は本校では、明治43年の「真白き富士の根」で歌われる、生徒12人が亡くなった「海での遭難」に続く悲惨なでき事でした。
この「山の遭難」では、翌年の5月まで遺体が上がらない…。私も捜索に参加していましたから、今でもその時のことはよく覚えています。
(中山)
痛ましいことですね。
(髙田先生)
その通りです。学校が社会からの要請に応えられなくなり、学校の「体力」が衰えていた時でしたから、学校はたいへんな状況になりましたね。学校が事故の責任を認めない、「個人的に出かけたものだから」と。意見の対立で、教員も2つに割れ、校友も2つに割れ、PTAはどうして良いか分からない、という事態になりました。
私は「学校に責任がある」と主張した張本人でしたが、個人的には「名門の逗子開成ももうだめか」という思いさえありました。まさに地獄を見たような状況がありました。
これが再建の原点なんです。
(中山)
再建はどのような形で始められたのですか。
(髙田先生)
学校の責任を巡っては裁判にもなりました。このような危急存亡の危機に立って、「何とかしなくてはならない」と乗り出したのが、先日亡くなった徳間前理事長でした。本校の卒業生でもあった前理事長は陣頭に立って事態の収拾にあたりました。
(中山)
どのような方法で収拾をされたのですか。
(髙田先生)
すぐに合同慰霊祭を行い、事故についての学校の責任を認めました。
その後は学校の建て直しです。だから、本校の学校改革は中途半端な要請を受けた学校改革とは全く異なるものです。
(中山)
危機感をばねにして始まったものだからこそ、皆さんが懸命に取り組まれたのですね。
このお話は、皆さんにお知らせしてもよろしいことなのですか。
(高田先生)
いいですよ。事実ですから。
(岩佐先生)
父兄はみんな知っていますから。
(中山)
再建のためにどうされたのでしょうか
(髙田先生)
まず、再建に向けて学校の方向性を明確にしようと、3つの柱が打ち出されました。
(中山)
3つの柱とはどのようなものですか。
(髙田先生)
1つ目は進学指導、2つ目は情操教育、3つ目は海洋教育です。
それらの根底には人の命を大切にすることがあります。「命」にはすべてのことが含まれています。基本的人権の尊重や個人としての尊厳などを守ることは当然大事にしなければいけない。学校としては、生徒が家を出てから家に戻るまではすべての責任があるという姿勢を持つことなどからの大改革をしたのです。
「教師には高い倫理観が必要だ」
(中山)
この3つの柱に基づく学校改革はどのようなところから取り組まれたのでしょうか。
(髙田先生)
新設校であれば新しい理念の下に始めれば良いから学校づくりは比較的楽でしょう。しかし、本校のように伝統があり高い評価を受けていたことがある学校にとっては難しいことです。よく「船隊」と表現するのですが、教職員や生徒に加えて卒業生が2万5千名もいる学校ですから、3つの柱を意識の中に浸透させるまでが大変でした。
(中山)
反対意見も多数あったわけですね。
(髙田先生)
そうですね。
たとえば、体育系のクラブはインターハイに出場できるほど強いので、現場だけではなくOBからの反対もありました。
「進学校にする」「東大に入れるんだ」と言っても、現実には誰も受からない状態でしたから、教員も生徒もせせら笑った、というほどのところからの出発なのです。
(中山)
進学指導を考えるとカリキュラムの整備は大変だっただろうと思われますが。
(髙田先生)
教育は、地味で金もかかるし時間もかかるものです。ですから結果は、学校がどれだけ一生懸命にやっているかで決まります。カリキュラムだけの問題ではないと思います。何かが起こったら直ちに解決する姿勢が大切です。これだけの生徒がいればいじめやけんかも起こるでしょう。でも、何か問題が起こったならば、教員が一人で考えるのではなく、学年全体で考える、それを教頭に報告するようにしています。そのため、教頭からの報告に基づいて、関係者をここに呼んで対応します。何かが起こらなくなるのは、こうした積み重ねだと思います。
(中山)
校長にまでスムーズに情報が伝わることは難しい学校が多いようですが。
(髙田先生)
そこがポイントなのです。私はすぐに関係者を呼んで原因を尋ねます。そのようなことの積み重ねで、客観的なデータが集まるのです。
今日は英検に関するデータが入ってきました。それに基づいていろいろなことがすぐに決まっていく、これが本校の強みでしょう。
(中山)
学校の方針を理解して動ける先生方の力が大切だと思いますが、先生の採用はどのような観点でなさるのですか。
(髙田先生)
まず学力があること、それから指導に熱意を持っていること、最後に人間としての徳性というか品性というか、高い倫理観を持っていることですね。
教育というのは処理すればいいというものではない。そこには高い倫理観があってしかも美しくなければいけない。洗練された美意識の下に美的でなくてはいけない。これで済んだというものではないですからね。
(中山)
最近は、ことに3番目の条件が難しくなっているように感じます。
(髙田先生)
そうですね。しかしこちらが育てるという面もあります。毎日毎日会ったり、ある事がらについて話し合ったりしていく中で教師も成長して、一人前になっていくのです。洗練された美意識に基づいて仕事を成し遂げられるようになるのです。徳性については、私をはじめ毎日毎日研いていくのだと思っています。
(岩佐先生)
私は校長が美術科の主任だった頃から指導を受けていますが、相当鍛えられたと思います。美術系の人間は普通の人とかなり違ったところがありますから(笑)
(中山)
校長は強いリーダーシップをお持ちのよう拝察しますが、岩佐先生からご覧になっていかがですか。
(岩佐先生)
仕事に関しては妥協しない人です。
私は美術科ですからパンフレットを作ることが多いのです、「美しくない」と全く妥協しないですね。時間的な制約がありますが、本当にギリギリまで、納得がいくまで妥協しません(笑)。
(髙田先生)
いやいや、妥協だらけですよ(笑)。
(岩佐先生)
仕事の面では全く妥協しないのですが、別な面では「良いよ、良いよ」と済ます部分があります。その点で若手の教員も相談に行きやすいと言えますね。
(中山)
若手の先生が率直に意見を述べることができるというのは素晴らしい環境だと思います。
(髙田先生)
入って1年目であっても何も言わなければ叱ります。「どちらでも良いや」というような態度は絶対に許しません。
本校に「生意気の系譜」というのがあって何人もいる(笑)のです。多少生意気でも能力があれば取り立てる、そうすれば責任も感じるし能力も発揮できます。
「情報をオープンにする」
(中山)
3つの柱に基づいた教育が、順調に行われているのはスッタフの力量が高いからだということが理解できました。
(髙田先生)
ちょっと付け加えさせてください。芸術科の教員ではこちらの広報部長以外にも、映画上映の担当者や海洋教育の担当者もいます。海洋教育の担当者は元々は音楽の教員なのですよ。
(中山)
そうなのですか。とても興味深いお話です。担当教科の授業以外の面での活躍が大きいのですね。これには何がきっかけがあるのですか。
(髙田先生)
「芸術の日」がきっかけでしょう。「芸術は知識を教えるものではない」という考えから、楽しみながら絵を1日中書いていたり、自己表現のための書き初め大会をやったり、中にはトランペットばかり吹いている生徒もいました。
最初のうちは人数も少なかったから、芸術科の教員で何とかできたのですが、生徒が増えるとそうはいかないので、どうしても学年の協力が必要になります。それによって、いろいろな面での広がりが生まれてきました。今では「芸術科が退くぞと言ったらこの学校は終わりだ」(笑)というくらいになりました。
(岩佐先生)
「芸術の日」の経験から土曜講座も作られました。希望制で現在73講座あります。
(中山)
ホームページにある家庭科の授業もそうですか。
(岩佐先生)
家庭科の授業は高校のものです。土曜講座ではありませんが、「芸術の日」が基になっている点では同じでしょう。
(中山)
生徒の評判はいかがですか。
(髙田先生)
そうですね、週5日制の限られた時間の中でもいろいろなことができるので、楽しい様子です。本校の教員は遊ぶことが好きなので(笑)、いろいろなものが生まれてくるのですよ。
(中山)
その他に、独自のものとして挙げられるものは何でしょうか。
(髙田先生)
教員が自主的に取り組んだものとしては、数学の自主教材の作成、コンピュータでの教育も本校が最初でしょう。これも自主教材を作って組んでいます。英語でコンピュータを利用して行う教育は抜群の効果を生みましたね。今日の英語指導にも生きています。
(中山)
忙しいことでのマイナス面はないのでしょうか。
(髙田先生)
確かに忙しくて辛いと思う教員もいるでしょう。しかし学校改革を通じて、前理事長は「大変だなんていうんじゃない、給料もらっているのだから当たり前だろう」と言い続けていました。
この学校のために、自分が担当している生徒のために、何をやったかが基準なのです。厳しい言い方ですが、「忙しい」というのは無駄が多いからだと思いますね。
(中山)
無駄なことをしないようにするにはどのようにしたらよいとお考えですか。
(髙田先生)
たとえば、教科で取り組むことは共通の話題にしてコンピュータに必要事項を打ち込んでおけば良いだろうと思います。本校では必要な情報はオープンにしておくことにしています。みんな共通の認識に立って、校長と同じような基準で判断できなければならないと思うからです。
(中山)
最近、同じような考えに基づいて学校を運営されている校長先生も多くなりましたが、逗子開成はずいぶん前から取り組んでいらっしゃるのですね。
(髙田先生)
そうですね。あわせて学校外に対してもオープンにしています。教員は放っておくと保守的になってしまいがちです。「教員の常識は世間の非常識である」などと言われるようでは困るので、外部の人たちと接する機会を持つようにしています。運動会に学校をお貸したり、映画会に逗子の人たちが見えたりすること、学友会やPTAに対してもどんどん来てほしいと働きかけています。
「自然に触れることは大切なことだ」
(中山)
逗子開成ではすでに週5日制を導入されています。2002年から始まる新しい指導要領の導入に関して生徒の学力の低下が懸念されていますが。
(髙田先生)
学力を落としてはならないことは当たり前です。
他にも、劣ると思っている表現力を伸ばすための指導を進めていく必要があると思います。学力は単なる物知りではなく、ひとつの見識というか、社会的、歴史的な背景を持って自分が置かれている状況に対処できる教養でなくてはなりません。
このような困った時代になったからこそ、高い深い学力を持って、社会に貢献できる人材、つまり真のエリートを作りたいですね。本校の生徒にはそんな人材に育ってほしいと思います。
(中山)
現在の学力面で特に問題だと思われるのは何でしょうか。
(髙田先生)
気がかりなことの1つは、理科の教育です。今、子どもたちやその親たちが理科を勉強することが悪いことのように考えている場合があるようです。
原子爆弾の悲惨さだけを取り上げて「科学の進歩は人類の進歩をもたらさない」という短絡的な見方で、科学全体をとらえるようでは「科学立国」などができるはずがありません。
(中山)
困った時代とおっしゃいましたが、子どもたちに対する影響に関してはどのようにお考えですか。
(髙田先生)
困ったなあ(笑)、何を答えたら良いでしょうかね・・・。
1つには、バーチャル的な体験に原因があると思いますね。今から50年ほど前ならば、自然というか、真実というか、そのような物に触れる機会を持っていたのですが、現在の子どもたちには残念ながらそれが少ないことですね。自然に接する教育が大切だろうと思いますね。
(中山)
逗子開成では自然に触れる教育を実践されていますね。
(髙田先生)
ええ。でも、自分の家が田園の中にあるというような環境は望めませんから、十分ではないでしょう。ただ、海洋教育で自分の造ったヨットで海へ出るということは良いと思いますね。海に出たからには自分たちで戻ってくる。今の時代、そういういわば生命の危機といえることと背中合わせの経験はなくなっていますから。
(中山)
過去に海や山での遭難の歴史をおもちの中で、生徒を海に送り出すときなどの校長先生のご覚悟は大変なものでしょう。
(髙田先生)
そうですね。何が起こるか分からないですからね。もちろん海洋教育だけではなく、夏の海外研修でも120名をアメリカ、オーストラリアへ送り出すので、3週間は昼も夜もないですね。
事前には自分で下見して決めてきた環境ですが、心配しどおしです。そういうことから言えば、教育に携わる者はみな24時間体制でしょう。万全にも万全を期して、実施します。生徒にとって大きな価値を生むのがはっきりと分かりますから。
(中山)
校長が学校再建の際の考え方を実践されているのがよくわかりました。最後に、入試についてお伺いします。2000年入試では問題がとても難しくなりましたが、次の受験も何か変更をお考えですか。
(岩佐先生)
過去2年に渡って合格者のうちで入学する生徒の割合が予想以上に多かったもので、学則定員210名に対して270名ほどの入学者になりました。そのため2000年には合格者を絞り込んで発表しました。その影響が出たのだと思います。2001年も同様に合格者を絞り込むかについては、応募状況を見て考えることになると思います。
(中山)
1次試験と1科目選抜の募集定員の変更も同様なお考えからですか。
(岩佐先生)
1回目選抜の難度を下げる意味があって10名増やしました。あとは学則定員にあわせて1次試験の定員を減らしたものです。1次試験の合格者を絞り込もうという意図はありません。
(中山)
1999年と2000年を比べると出題内容がかなり変わったように思われますが。
(髙田先生)
難しくなった・なったは悪宣伝なんです。(笑)私もチェックしていますが、大きな変化はないと思います。
(岩佐先生)
出題の大枠では変化をさせないという方針ですが、入試の状況は変わりますので、全く同じ範囲や同じ形式にするということではありません。ですから、毎回の問題を詳しく見れば印象は変わっていると思います。
(中山)
最後にお伺いします。先に先生がおっしゃった「軍艦」で大量に東大に入れるという時期の目算についてはいかがでしょうか。
(高田先生)
今の高1生が大学受験をする時点には何とかしたいですね。
以上
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